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亡き妻へ感謝を込めて新聞広告に10年間メッセージを掲載した男性

2012年07月01日
亡き妻へ感謝を込めて新聞広告に10年間メッセージを掲載した男性
退職した刑事事件弁護士のジョー・イングバーは、亡き妻、エイリーンの誕生日と彼女が2002年にガンで亡くなった日を覚えている。火曜日の朝、私はオフィスに向かう途中、誰かが私の名前を呼んでいるのに気付きました。肩越しに、私はスプリング通りから見えるタイム社のロビーで白髪の紳士が立ち上がるのが見えた。

彼はカジュアルな服を着ていて、温厚な人柄の人物でした。彼は私に、スティーブ・ロペスですか、と尋ねました。はい、と私は答え、また彼は私に、私がジョー・イングバーだと告げ、長年法律の仕事をしていたと語り始めた。そして、彼は私が今までに、私の父の名前で寄付を受け取りましたかと尋ねてきた。

私は、読者からこれまでもらった多くのカードと手紙を思い出しましたが、寄付については思い出すことができなかった。イングバーは、私の父と家族のことを想っていることを知らせたかったのです、と言いった。

私は彼と握手をして、とても心を打たれたと告げました。そして私は彼に、この夏のある日にどうしてタイム社を訪ねてきたのかを尋ねた。

ああ、と彼は言い、亡くなった彼の妻エイリーンのために、新聞のトリビュート欄に小さな広告を載せるために来ましたと言い、私は、彼女は最近亡くなったのだと気遣いましたが、そうではありませんでした。

彼女は卵巣ガンと診断されてから闘病生活を続け、2002年7月8日に亡くなったのです。

「私は2年に一度、新聞の広告欄にメッセージを載せているのです」「一つは彼女の誕生日に、そしてもう一つ彼女が亡くなった日に。」とイングバー氏は語りました。

彼はこれをどのくらい続けているのでしょうか?

10年間」「ほんの数行ですよ。」と81歳のイングバー氏は答えた。

イングバー氏は、広告部の担当者が7月8日へ出す広告を受け取ってくれるのを待っており、封筒の中に今年出すメッセージを入れていました。


今年のメッセージは、こう書かれています。


エイリーン・イングバー

1933年11月3日 — 2002年7月8日

10年 — 私たちはいつも

あなたの愛を覚えています

ジョー — スティシー — そしてマルコ


スティシーはイングバーの娘、そしてマルコは彼の孫であり、3人はチェビオット・ヒルズで一緒に暮らしています。

イングバーは、68歳で亡くなった妻に40年間、いつも何か書いていたいう。


2010年11月3日、 イングバーは広告欄に、妻にこうメッセージを載せていた。


誕生日おめでとう、エイリーン

一緒にLOEHMANN'Sに

買い物に行こう

私たちは

あなたのことをいつも思っています


彼は、ジャック・スミス、ジム・ミュレーそしてポール・コンラッドの功績によって、より素晴らしくなった同じ紙面に妻の名前が載ることは私にとって特別なことですと言いました。彼はまだコンラッドの風刺画の切り抜きを持っていると言い、また、彼は、自分が古いタイプの人間で、新聞を手にしているほうがいいともいった。彼はコンピューターさえ持っていないのです。

「私は絶対にハッキングされません」と言い、また彼は、IBM セレクトリックの導入から止まっていますと説明してくれました。

私たちが話している時、シカゴトリビューン新聞社CEOのエディー・ハーテンスタインが立ち寄り、彼にイングバーが、妻の死から10年目を迎えるにあたって、彼女にささやかなメッセージを載せようとしていることを伝えた。ハーテンスタインは彼にお礼を言い、そして私たちと一緒にロビーに座った後、二人はすぐに思い出を語りだしました。ミュレー、コンラッド、そしてスミスが成した素晴らしい仕事を話し、市民の権利が自由な報道の社会において最も重要なことであるとも話していた。

イングバーはつい最近まで刑事事件弁護士として働いており、25件の死刑判決のケースを扱ってきた。その中にはストリート・ギャング団、クリップスのリーダーの一人であった被告人スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ事実に基づいて映画化された「クリップス 」)もいたと話し、そして私はイングバーに、サン・クウェンティンで2005年にウィリアムズが薬物注射によって刑が執行されるのを見届けたと言いました。


イングバーがまだ駆け出しの頃、ある軽微事件が二人を引き合わせるきっかけとなりました。

「何者かが赤いライトを照らして彼女の車に突っ込んできました」とイングバーは話しはじめ、彼はその当時、上司のポール・カルソー弁護士が担当していた保険和解ケースを受けついだという。

彼が彼女の和解を得た後、イングバーは彼女をデートに誘いました。彼は道徳的に正しいことをすることを譲らず、彼女が元依頼人になるまで待っていたそうです。

二人は、そうして始まったのです。プロポーズ、結婚、家族生活。二人はロンドン、パリ、ローマ、そしてアジア諸国を旅行してまわりました。エイリーンは時々家の外で仕事をし、友人とカードをして遊び、彼女は病気になるまでとても元気に暮らしていました。

「あなたはケアワーカーとして教育を受けていない」と彼女は言いましたが、彼はできる限りのことをし、彼女が息を引き取る瞬間まで、彼女を看病しました。

イングバーは目に涙を浮かべながら、エイリーンが逝ったとき、彼は彼女をどれほど愛していたかに気付き、そして彼女にその気持ちをもっと伝えておけばよかったと言った。彼は、当時人々から軽蔑されている被告を担当している弁護士と結婚することが難しいことだと知っていた、と話した。また、もしこれらの犯罪が、どのような程度であっても公平でプロフェッショナルな弁護を受けられないのであれば、刑事司法制度の健全性に傷がついてしまうという彼の信念をよりはっきり伝えることができればと説明した。

イングバーの、この広告はきっと悲しみを表すものであり、妻の人生を称え、彼女への尊敬を表すものである。そして「君への気持ちは変わらない」という気持ちに対する記録なのだといえる。



Man's 10 years of newspaper ads pay respects to late beloved wife



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